けんたろうちゃんの only one カイゴ

介護に関わる全ての人の不平や不満、不平等を新しい視点で応援したいと考えこのブログを立ち上げました。多少独自の視点が多いかもですが、その時は笑ってやって下さい。お互いに欠点を補える様なそんな介護を目指し、介護に悩む皆さんと有機的に繋がる事が出来れば幸いです。

介護支援 他職種連携 考察

こんにちは。

 

全国の

「まきこさん」という名前が奥さんの

ケアマネジャーさん

 

改めましてこんにちは。

 

ケアプランの作成は

他職種連携をしながら作成するのが

当然だと考えられています。

 

あくまでもケアマネの立位置というのは

社会資源や他職種間の意見の調整

ハブ機能、中核基地としての役割があります。

 

例えば

要介護者の利用者が「歩きたい」と

 

その要望に対して

福祉用具で杖や、歩行器を貸与する。

 

デイケアへリハビリに通い

リハ職から意見を伺いながら

歩行訓練を実施して頂く。

 

訪問介護などの療養の世話及び機能訓練をして頂き看護師に身体的な事を聞く。

 

医療連携での回復期リハビリにおいて

医療職から要介護者の状態を聞く。

 

など。

 

様々な方法がありますが

しかし、この様な考え方からアセスメントされた

ケアプランは

「有効では無い」のでは?

と思っています。

 

理由はケアプランにサービスを取り入れた時点で

要介護者の自立に歯止めがかかる

恐れがあるからです!

 

驚くかもしれませんが

サービスを開始した時点で

要介護者への自立促進は難しくなると

思っています。

 

自立(自律)。

 

そして「歩きたい」という目標は

長期目標に割り当てられます。

 

歩く為には歩く動作を理解し

歩行するという事は

どの様な身体能力が関わっているかを

十分に考える必要があります。

 

そして短期目標を

スモールステップの理解で

クリアして行かないと

長期目標をクリアするというのは

中々難しい事です。

 

そこで考える事は

「何かのサービスを使う」という視点は

要介護者が自立する事が無くなるかもしれない

という事を念頭において

他職種と連携をしていかなければと

考えています。

 

言い換えれば

サービスを開始する前の段階に

他職種連携が必要なのですが

矛盾に聞こえそうですが

サービス開始決定後に

他職種連携が始まります。

 

非常に難しい状況だと考えられます。

 

端的に言えば

自立(自律)支援ですので

要介護者が自らの目標を「歩く」事と

お決めになったのであれば

それを在宅で地域、家族、友人等に

見守られながら行える方法があれば

とても良い方法なのかと思っています。

 

ただこの考えは「極端」過ぎて

現実的ではありません!

 

しかし地域包括ケアシステムや

行政の望む自立(自律)した在宅生活とは

この「極端な考え方」に

限りなく近いのでは?

と僕自身は考えています。

 

その根拠と致しまして

「終の住処」としての特養なども

現在は在宅に戻るための通過点として

行政は捉えている様だなと

考えられる様な

介護保険制度の度重なる変更が

見られるからです。

 

そして現在は

ケアプランの根拠を求める

ケアプラン点検が各資格者連携のもと

行政主体で行われております。

 

今までは利用者本位の目標を掲げて

長期と短期の目標を記載する様な介護技術方法で

ケアプラン作成に至っていたと思いますし

その目標達成に関わる他職種連携の意味合いですが最近の理解の中には

その他職種の中にもフォーマルがあり

インフォーマルも混在しているという状況に

あると考えられています。

 

これからは

ケアプラン作成には

どうして、何故理論が発生します。

 

どうして、何故

①「その」「そこの」サービス(社会資源)をケアマネは紹介したのか?

 

どうして、何故

②利用者がそのサービスを選択する経緯は利用者本位から決定されたものであるか?

 

どうして、何故

③利用者の長期、短期目標と整合性のあるサービスなのか、根拠を説明出来るか?

 

どうして、何故

④そのサービスで短期、長期目標を達成出来るか?

 

どうして、何故

⑤長期目標が達成されているのに同一のケアプランであり、事業者の変更はないのか?

 

などなど

 

特に「短期目標の達成」には

短期目標がどの様な目的によってアセスメントされたかが焦点になるようです。

 

利用者が「歩きたいから」という根拠ではサービスを開始、継続するという根拠には不十分過ぎであると考えられます。

 

そして明確な目標がケアプラン状に明示されていないと何のために介護保険を使うのか不明確になってしまい、適正に保険が使われなくなってしまうという考えのようです。

 

ケアプラン作成は

迷路の様な

構造になっております。

 

まとめます。

 

ケアプラン作成は

サービス開始前からの

他職種連携を心がけ

根拠ある短期目標に近づける様に

アセスメントを十分に

形成して頂きたいという事です。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

介護と家族の関係 丁度良い距離が頷ける。

こんにちは。

 

全国の「まきこさん」という名前の

ケアマネジャーさん

改めてこんにちは。

 

さて本題に入りたいと思います。

家族間の介護はこれからどうしたら良いか?

 

私なりの回答ですが

「ケースバイケース」しかありません。

 

そんな要介護者への介護は

現在はどの様に行われているか?

 

利用者本位。

尊厳。

自己決定の原則。

家族の意見を勘案する。

在宅と医療の連携などなど。

 

この考え方には

問題は無いのですが

 

利用者様の中には

利用者本位で考えたケアを

自己決定していく中で

自分らしい生き方と

相反する出来事が起こってしまうと

 

その課題を乗り越えるという考え方では無く

プランの変更を考える方が少なくありません。

到達出来るはずの無い目標は論外ですが

限りなく到達出来そうな目標でさえも

プランの変更を余儀なくされる事も往々にしてあります。

 

その時の要介護者、家族の落ち込みは

大変なものだと考えています。

 

ただ

あくまでも自己決定や利用者本位の

考え方で宜しいのですが

 

ここが焦点になってくるのではと考えています。

 

どんな場合でも利用者の利益に繋がる事を

自己決定して頂けたらと思っています。

 

利用者がプランニングを無作為に

変更し続けてしまうと

一切の成功体験に結びつかず

利用者が自分自身を肯定出来ず

家族は虚無感に襲われてしまうのでは?

と考えています。

 

ケアプランを

継続したとしても

変更したとしても

 

「成功体験」に結びつかなかったら

どちらも良いケアプランとは言えず

利用者も家族も望む結果が得られません。

 

医療や介護の場合は

利用者の全ての方が

 

意思疎通を十分に取れるわけではなく

まして全く取れない場合も数多くあります。

 

そんな場合は

お気持ちを察したり

家族の希望や

医療を主体とする考え方になったり

 

要介護者のお気持ちを

「コンセンサスベースドアプローチ」の会議により

推し量り「こうであろう」という目標が設定される

ケースが

数多くあります。

 

ただそんな利用者の状況からでも

利用者と家族の方が

「成功体験」出来る

ケアプランが必要だと私は考えています。

 

意思疎通出来ない。

寝たきりである。

意識障害である。

終末期である。

認知症が進んでいる。

など

 

どれもこれもお話しを聞けば

酷い痛みや苦痛を伴うものばかりで

私達の少々のアドバイス

専門的な知識や経験などでは

要介護者、家族への傷を和らげる事は

出来るとは思えせん。

 

こんな現代の介護に

ケアプランの変更で

成功体験に結びつけ

 

利用者本位だと

肯定的に捉えられ

要介護者も家族も頷ける

ケアプランの作成は

どの様にすれば良いのか?

 

お互いに「楽」で

お互いに「自分らしく」

いられるケアプランを、作成する。

 

要介護者も家族も

お互いに「楽」でいたい。

「自分のまま、自分らしく生きたい」という

想いはお互いに1つであると確信しています。

 

これに尽きます。

 

楽で無ければ

例え家族だとしても

要介護者への介護は出来ず

ただただ

苦しく辛い孤独な介護に

なってしまいます。

 

まとめます。

 

家族が要介護者を介護する場合に心がけて頂きたい事はお互いに「楽」でありお互いに「自分らしい」事です。

 

そんな丁度良い距離にある介護なら

お互いに楽しめる介護が出来ると思っています。

 

その丁度良い距離を模索しつづけましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柔道整復師について。理解を深めよう。

未だ勘違いがあるようだ。

 

柔道整復師の役割についてまだ議論が残ってるとかこれから改善していくとか?

 

話し合いの部分があると思っている輩が多すぎる。

 

①ネタを書くのはイイ。

 

②商売するのもイイ。

 

③ただ柔道整復師の技とか骨接ぎとか

 

④固定とか、そんなんどうでもイイ。

 

結論。

 

接骨院の前で怪我で通院する人みない。

接骨院の前で松葉杖の人みない。

接骨院の前で包帯してる人、三角巾してる人みない。

接骨院のホームページで、胡散臭くないものほぼ無い。

⑤いっつも同じ車が止まっていたり、同じ自転車が止まっている。15年位。

 

今は受診者照会が国保でも社保でも共済でもあるし、自賠責でも必要であれば接骨院に尋ねてくる事もある。

 

だから

柔道整復師だけがバレて無いと思ってるだけで、

みんな知ってるんだよね。

 

だから

ネタを書いて遊んでる位は丁度良いけど

 

本気で柔道整復師を叩いたりつねったり、いじめたりするのはやめよう。

 

彼ら柔道整復師はひっそりと暮らしたいだけ。

 

追い詰めると絶滅してしまう。

 

資格はあってもやる人がいない。

やる人がいても集客が出来ない。

そもそもこの日本で

いっつも怪我してたら

大変だ!

 

だから柔道整復師を見かけたら

クスッて

笑って

スルーしてあげてほしい。

 

彼らは時代錯誤

という事に

なかなか気づかないでいるだけだ。

 

彼らは1年間に

5回も10回も

怪我するのが当たり前

世界にいる。

 

僕が知ってる人はみな怪我などしない。

する必要が無い。

 

鉛筆を持っても肩は捻らない。

暴風雨で傘はささないので、傘が吹き飛ばされそうになって、肩は捻らない。

 

柔道整復師の記載した負傷原因は

どれ程多くの行政職員の

首を捻ったんだろう!

 

負傷原因

「行政職員の多くは柔道整復師の施術録をみた際、首を捻る。又は椅子から転げ落ちる。」

 

だが聞いてくれ。

もし行政の職員の方が施術録をみた際、頸部を捻ってしまったら労災とジャッジすれば良いのか!?

 

僕はここの部分にはまだ

議論する価値は残っていると感じている。

 

監査会場に出向く際に転倒みたいな!

 

そんな柔道整復師のみなさん!

柔道整復師は笑いの天才だ!?

 

安心して下さい!

僕も柔道整復師

療養費取り扱い中止の

経験を持つ

生粋の柔道整復師です。

 

監査でお困りの方!?

諦めましょう!

反省して次行きましょう!

 

最後まで読んで頂きありがとうございます!、

 

 

ケアマネ 72時間で足りるか? 尊厳討論会 ブログライブ

皆さん、こんばんは。

 

そして全国の「まきこさん」こんばんは。

 

僕の妻の名前は「まきこ」です。

 

ですので、

 

まきこファンの僕としては

 

全国のまきこさんに挨拶をしました。

 

改めてこんばんは。

 

ハイ!

 

本題に入りたいと思います!

 

ケアマネジャーをしていると利用者本位および尊厳についての解釈の試行錯誤、アセスメント(情報収集、課題分析)からのニーズ抽出する際、など様々なシチュエーションでそれらの事をより深く考える事になります。

 

尊厳や利用者本位。

 

テキストや参考書、もしくはネットから断片的に言葉を集めれば何となく、当たり障りのない、尊厳や利用者本位の思考を創造出来そうですが、果たしてそんな事で足りてしまう構造をしているのか?と僕自身感じます。

 

尊厳。

 

利用者本位。

 

尊厳=利用者本位

 

と考えると

この2つの言葉へ

同じ意味を持たせて

支援していくという事が

非常にわかりやすいです。

 

尊厳を守るという事はその方のお気持ちを尊重する事であり、個別化であり、たった1人の個人をあらわしていると考えられます。

 

利用者本位で物事を捉えるという事は、「ワガママ」をも受け入れる。分かりやすく言えば、その利用者のお考えや意見、主張などを否定も肯定もせずに受け入れるという事になります。

 

どちらもその方をたった1人の個人と捉え、その方の希望に合う商品を販売し、その方の望む日常に近づけていくという事だと考えます。

 

どうして、尊厳や利用者本位を衷心から行うように介護員を追い込むのか?

 

介護員は見えない利益を吸い上げるフィルターの役割をしているといえます。

 

つまり、介護支援では「介護構造」というべきかは分かりませんが、利権や利益相反の問題で、介護を明確にせず、介護士の能力や資質、社会的責任への客観的な理解、人格、倫理、情緒までもこの介護における法は介護員の能力に責任を転嫁し、介護の苦情やトラブルが起こるのは介護士の能力不足だと、介護員の資質向上が急務であり、介護士は金銭的な対価よりも精神的な対価を受け取りなさいなどとコントロールしようとします。

 

人間が、人間たる証拠は何か?

かの有名な7つの習慣のコビー先生は言います。

「自覚、創造、意思、良心」この人間としてあるべき姿が人間を成長の連続帯にすると。

 

積極的に人間を、教育したり、コントロールしたりする中では人間は成長出来ないと。

 

人間は自分自身の時間軸の中

自分が納得した時に大きな成長を求めます。

圧力や命令、弾圧や不平等からは反発しか生まれないという事は歴史が物語っていると思います。

 

現在の介護は

利用者本位であっても

区分支給限度基準額が決まっていたり

住宅改修や福祉用具の使用においても

上限が決まっていたりと。

 

制限あるサービスの中から

介護が適正に分配されるように

利用者本位という浮世を流しながら

常に煙玉や銃声で

国民の目や耳からの情報を奪い

幻想的な尊厳を作り上げ

個人では無く

介護や支援をされるものと1つにくくり

福祉系や医療系などと対立させる構造を作り

国民連帯の責任、国民の問題だと吠えられて

強制加入によって

税金を、支払い

 

法律という名のもとに

平等に保険料を支払い

不安や不満、不平等という対価を受け取ります。

 

最終的な話ですが

利用者本位や尊厳を

ケアスタッフに理解してもらったと感じるのは誰か?

尊厳を貫いて生きたいと感じるのは誰か?

利用者本位を客観的に洞察し評価出来るのは誰か?

 

最終的に全てを判断出来るのは

御本人様だけです。

 

まとめます。

 

介護では

ワガママに付き合う事と

無理難題の要求のご希望にそえる事が

いつも我々に突きつけられています。

 

我々、介護士も日本国に生まれ

等しく法のもとの平等の国民です。

しかしその当たり前の権利も守られず

日本中の介護士

脳のネジをぶっ飛ばしながら

この介護の世界を

徘徊しています。

 

介護難民は高齢者だけではなく

我々、介護士も一緒です!

責任ばかりを押し付けられ

権利を奪われ

口を縫われ

傾聴ロボットにされています。

 

この介護の

幹の根っこは

腐っているかもしれません。

 

介護の木から

落ちる枯葉を

いくら振り払っても

私達の未来や利用者さんの未来は

変化しないでしょう。

 

我々に求められるのは

根っこを

介護の根っこを皆んなで切り

新しい介護の幹を植える事だと思います。

 

春夏秋冬という年月を

当たり前のように

芽が出て大きな木の根が生えるまで

しっかりと世話すれば

きっとこの日本の介護は

誰もが創造出来ないほど幸せなものになっていると思います。

 

僕達介護士の新しく幸せなプラットフォームを作りたい!

 

全国の、まきこさんと‼︎

 

今日はこのへんでやめます。

 

次回は新しい介護とは

介護と家族の関係は

その辺を書いていこうと思います。

 

最後までありがとうございます。

 

 

週に40時間働く事が普通?週4時間だけ働くは異常?

おはようございます。

今日は抽象を中心に書いていこうかと思います。

 

以前読んだ本の中に

ティモシーフェリス氏の週4時間だけ働くというものがありました。

 

ノマドワーク」を

どの様に実践するか?

 

の様な事が書いてあったと記憶しています。

 

働き方、働き方と日本中で

イノベーション」を

起こそうとしている、起こしている、スタートアップしたという方多いのではないでしょうか?

 

そして僕自身

今までの働き方はとご指摘を良く受けます。

監査になった経緯からです。

 

皆さんはどの様にお考えでしょうか?

 

平たいですが

 

今の時代の流行は労働に縛られない自由な時間をどれだけ確保しているかという事に尽きると思います。

 

言い換えれば、縛られる事なく

自分が好きな事だけをして暮らせるか?

 

という事かと。

 

肉体

精神

環境

 

の全てにおいてなんの苦痛も無い状態。

 

飲酒などとは無縁の世界。

 

この状態はパーフェクトです。

 

何も無いと退屈じゃない?とか

そんな事して将来不安じゃない?とか

いっつも何やってるの?みたいな

 

事を言う人いますが、

はっきり言ってこの状態を体感したらもう後戻りなど出来ません。

 

自分の体験で申し訳ありませんが、

31歳〜35歳までのおよそ4年間

自分が好きな事だけをして生活した事があります。

 

内容は伏せますが

労働で縛られる事なく

顧客に追われる事もなく

自分が縛るものがあっても

自分を縛るものは無く

パーフェクトの時間を過ごさせて頂きました。

 

最高の至福の時間でした。

 

収入の面でも現在の30倍。

スマホの出たばかりの時代。

 

僕がやった事は簡単に言えば

 

know-howを販売したんですね。

 

顧客は少なかったですが

料金が高額でしたので

数名の顧客に販売出来れば十分でした。

 

ただその手法も

インターネットの拡大により

無益化となり

私のknow-howの城は燃え

転落。

 

今でいえばnoteみたいな感じかな。

リアル版のnote。

 

あれ以上の出来事

良い意味でまたきて欲しいと

毎日考えていますが、

まだきませんね。

 

ただ…

振り返ってみると感じる事が数多くあります。

 

自分なりのパーフェクトを体感し

その状態から押し出されてしまうと

その後の「人生」

全てが不満足です。

 

「パーフェクト状態への執着」

 

自分なりのパーフェクト状態を考察すると

その状態を維持し続ける事に精一杯で

向上が無かった。

 

言い換えればパーフェクトだから

向上の必要が無かった。

 

肉体

精神

環境

 

井の中の蛙か?!」

 

自分自身の殻に閉じ込められていた事に気づきます。

 

ティモシーフェリスの本の中に

「妻とダラダラ過ごしたい」という男Aに

「お金持ちになってから10年後、奥さんとダラダラ過ごして下さい」という男Bがいた。

 

男Aの言いたい事は今が良いという事。

男Bの言いたい事はお金を持って将来ダラダラして欲しいという事。

 

時間軸と価値の違い。

 

働き方について流行を追うのも良いと思います。

ただ時間軸や個別化の問題があるので何が良いとは言えませんが。

 

ありきたりですが、

自分の居場所で花を咲かせている人。

自分の居場所をつくるために花を咲かせようとしている人。

 

自分の居場所でいつも花を咲かせるために

その場所へ種を蒔き続けている人

咲いた花を皆んなが見てくれる人

 

そんな人が流行に流されずに

パーフェクトな状態を続けていけるのかなと。

 

人のパーフェクトな状態とは

悩みが無い事では無く

健康な状態でありつづける事だけで無く

その悩みや健康を

克服し維持し向上させ続ける事であって

成長を連続させる事

 

人は「自分の課題」を乗り越えるために

前進する姿が

「自分自身」を「大輪の花へ」と変化させる

唯一の方法であり

前進し続ける為に、生きる事がパーフェクトな状態であると僕は考えています。

 

最後まで読んで頂きましてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケアマネどうする!?利用者から一部負担金をもらう事になり、さらに住民主体Bがそんな事したら!

こんばんは。

 

今日は、ハンドルネームは「けんたろうちゃん」

本名は、「けんじ」のケアマネの将来こうなる!?みたいな記事を書ければいいなと思います。

 

皆さまご存知だと思いますが、

1人のケアマネジャーが

利用者40名に対して

ケアプランを作成致します。

 

利用者様の、利用者様の為の、そして利用者様やご家族様のご意見もふんだんに盛り込んだ、利用者様本位の自己決定の原則に基づきまして、多様なサービスから適切な事業所様とご契約させて頂きます。

 

という事を40人分行いいますと

青森市の平均ですが1ヶ月辺り464万円!

保険料及び税金が発生するわけです。

 

一年間になりますとそれはそれは恐ろしい金額が1人のケアマネジャーの裁量で発生する訳ですから、これに対して歯止めをかけたいと思うのが普通かと考えます。

 

利用者さんがケアマネジャーへの1部負担金 をお支払いする事を行政は決定するのではと考えています。

 

ま〜長年の鉄板ネタですが!

ジュー‼︎

 

しかしその決定がなされると、平たいですけど平たい言い方ですけど、

 

「え!、金取るの!?」ってなりませんか?

 

そうすると

まーぶっちゃけコンプライアンスの問題がかなりあると思うんですよ、

 

同意とか訪問とか原案とかケアプランとか、

 

金とると、今まで利用者さんとか、その家族とか片目つむって許してくれてたものが一気に爆発しそうじゃないですか?!

 

ハイ!監査!

 

監査を経験した事ある人は珍しいと思いますが(実施指導は普通やけどね。)、僕は違う業種で行政に監査されたことありますけど滅多打ちで、そりゃえらい目に(自業自得ですいません!)。

行政はめちゃ怖いですよ。

 

死ぬほど怖いし、言い逃れや言い訳など、無理。

簡単に言えばもうどうする事も出来んですね。

国家賠償とか間違っても考えたらダメですわ。

 

大きい声では言えませんけどハムカツ支援センターとかでは3ヶ月に1回は居宅に出向いてモニタリングとかいいますけど、ほとんど更新の時にしか行かないよね?!

 

僕の知ってる利用者さんはみんなそう言いますね。

「ハムカツのネーチャン達は更新の時にしか来ん‼︎」

 

手本の人がこうだから、もう何もね、言えませんよ。

 

ただやっぱり国民の立場としたらコンプライアンスは守って貰わないといかんでしょ。

 

消費税の財源なんかも介護の事業に使われてるんだし。

 

長い話になりましたけど、

結論はケアマネジャーの仕事は現在までは

片目つぶって許してもらってた訳ですけど…。

 

一部負担金発生したらどうなるでしょうね〜。

 

恐いなー。

 

そこでやはり‼︎

通所でも‼︎

訪問でも‼︎

住民主体Bが行政の秘策ですね。

 

地域ハムカツの根幹!

 

内容は今回割愛しますが。

 

ケアマネの仕事なんてのは

Bでいいんだよね。(ボランティア)

コレ結論‼︎

 

資質向上努力義務は必要無くて

ケアマネのスタッフってやっぱディスクワークとか在宅への訪問とか多いから結構、飲食する機会多いですね。

 

なので、ケアマネは

資質向上じゃなくて

「脂質減量努力義務」しないとねー‼︎

 

介護保険法にもあるじゃないですか?

国民は要介護状態にならない様に努力する事みたいな。

 

ケアマネってのはつまり社会資源と困ってる人を結びつける仕事な訳で、そこに法律とか入ってきちゃうんで聞くことも固くなるよね。

 

「介護サービスにどの程度費用払えますか?」

とか

「わかりました‼︎」とか

 

まー生命保険の営業マンみたいなノリ?

 

もはや利用者本位とか

関係無くて貧困か富裕か

みたいな。

 

単純に格差原理。

隠されたニーズとか支援困難事例とか言う前に

所得の問題!

 

費用払えなきゃサービス受けれん。

保険料払えなかったら負担割合3割になる!

 

裏3割!(保険料払えず行政処分により3割の人の事を指す) 

 

表3割!(現役世代並みの所得の人)

 

しかも入浴なんかもボランティアの人がしっかり聞いてあげたら、住宅改修とか福祉用具とか近所の大工さんが棒とかで手すりつけた方が上手くいきそう。

 

権利ってスゲー大切だけど

 

ここ日本で日本の人ってあんまり権利とか主張する事に慣れてないからさ。

 

介護だけ権利みたいな、

介護だけノーマライゼーションとか、

介護から生まれる共生社会とか、

 

介護福祉士は我慢するとか

介護福祉士は統制された情緒関与で関わるとか

残念だけど今の介護は介護福祉士の方に押し付けてるだけなんだわ。

 

介護はマニュアルから起こるのでは無くて

突発的に突然に起こるわけで、

オムツを1日に何回変えるとか、お風呂は何回入れるとかじゃなくて、その人の意思によらなきゃいけない訳で!

 

その人が意思でやる訳で

寝たきりの人はその意思を伝えられない訳で

だから

家族とか大切に思う人とか、孤独の人は?って思うかもしれないけど、そういう場合は措置な訳で。

 

まとめると、

介護は縦の壁や横の壁を溶かしていかないと。

わかりやすく言えば

欠点を補い合わないと。

 

介護はやはり原点に立ち返る方が良いと思います。

家族が、在宅で面倒見る!

 

基本。

 

介護は、人が人に行うものだから、お金の理解が中心にあると難しいですね。

 

それを解決する為にはやはり

その人を見る「べき」(反応の言葉ですが)

その人を見る人が介護をするのが一番じゃないかと思います。

 

僕の結論はこんな堂々巡りの議論すら

僕達はまだ

1%も議論しあっていないのではないかと思っています。

 

一緒に介護って何か

考えてみませんか?

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

iPhoneを、旅する嫁 そんな嫁に俺は言いたい。

こんばんは。

 

今おいらはお酒を飲んでいます。

 

ゆる〜い酒ブログでも。

 

明日の会社の日程を嫁に聞いた。

 

嫁はiPhoneを取り出し確認し始めた。

 

そして俺に言った。

 

「待ってね」

 

 

「うん」

 

暫く時間たつ。

 

明日の会社のスケジュール、予定、嫌、簡単に言えば明日の仕事内容、を嫁が管理してくれてる訳でいつも教えてくれる訳で…

 

嫁の機嫌が悪い時はEvernoteでリマインダー。

 

嫁の機嫌が悪いが我慢してる時はLINE。

 

嫁の機嫌が良い時は口頭。

 

嫁の機嫌がすごく良い時はハグしながら口頭。

 

嫁の機嫌がマックス良い時はベットで耳元で囁き。

 

だが今回は何の連絡も無い。

 

嫁を素早く盗み見する俺!

 

嫁泣いてる。

 

え…。

 

何故。

 

さりげなく近寄る俺。

 

先日行った家族旅行の写メ見て泣いてる。

 

嫁は言った。

 

今、iPhoneの写真を見ながら旅を思い出す旅をしているの」と。

 

複雑。

 

だが心理的にはわかる。

 

ハグ‼︎😍😍😍

 

強くハグ‼︎

 

耳元でスケジュール囁いてくれ‼︎

 

「けど、俺酒飲んでるから!今日はLINEでいいよ…嫁。」

 

嫁怒ってる…😱

 

でもそんな嫁がずっと好き

 

ゆる〜い酒トーク☺️

 

最後まで読んで頂きましてありがとうございます!

 

では明日も試験対策やりますんで、宜しくお願い致します😁