けんたろうちゃんの only one カイゴ

介護に関わる全ての人の不平や不満、不平等を新しい視点で応援したいと考えこのブログを立ち上げました。多少独自の視点が多いかもですが、その時は笑ってやって下さい。お互いに欠点を補える様なそんな介護を目指し、介護に悩む皆さんと有機的に繋がる事が出来れば幸いです。

ケアマネ 72時間で足りるか? 尊厳討論会 ブログライブ

皆さん、こんばんは。

 

そして全国の「まきこさん」こんばんは。

 

僕の妻の名前は「まきこ」です。

 

ですので、

 

まきこファンの僕としては

 

全国のまきこさんに挨拶をしました。

 

改めてこんばんは。

 

ハイ!

 

本題に入りたいと思います!

 

ケアマネジャーをしていると利用者本位および尊厳についての解釈の試行錯誤、アセスメント(情報収集、課題分析)からのニーズ抽出する際、など様々なシチュエーションでそれらの事をより深く考える事になります。

 

尊厳や利用者本位。

 

テキストや参考書、もしくはネットから断片的に言葉を集めれば何となく、当たり障りのない、尊厳や利用者本位の思考を創造出来そうですが、果たしてそんな事で足りてしまう構造をしているのか?と僕自身感じます。

 

尊厳。

 

利用者本位。

 

尊厳=利用者本位

 

と考えると

この2つの言葉へ

同じ意味を持たせて

支援していくという事が

非常にわかりやすいです。

 

尊厳を守るという事はその方のお気持ちを尊重する事であり、個別化であり、たった1人の個人をあらわしていると考えられます。

 

利用者本位で物事を捉えるという事は、「ワガママ」をも受け入れる。分かりやすく言えば、その利用者のお考えや意見、主張などを否定も肯定もせずに受け入れるという事になります。

 

どちらもその方をたった1人の個人と捉え、その方の希望に合う商品を販売し、その方の望む日常に近づけていくという事だと考えます。

 

どうして、尊厳や利用者本位を衷心から行うように介護員を追い込むのか?

 

介護員は見えない利益を吸い上げるフィルターの役割をしているといえます。

 

つまり、介護支援では「介護構造」というべきかは分かりませんが、利権や利益相反の問題で、介護を明確にせず、介護士の能力や資質、社会的責任への客観的な理解、人格、倫理、情緒までもこの介護における法は介護員の能力に責任を転嫁し、介護の苦情やトラブルが起こるのは介護士の能力不足だと、介護員の資質向上が急務であり、介護士は金銭的な対価よりも精神的な対価を受け取りなさいなどとコントロールしようとします。

 

人間が、人間たる証拠は何か?

かの有名な7つの習慣のコビー先生は言います。

「自覚、創造、意思、良心」この人間としてあるべき姿が人間を成長の連続帯にすると。

 

積極的に人間を、教育したり、コントロールしたりする中では人間は成長出来ないと。

 

人間は自分自身の時間軸の中

自分が納得した時に大きな成長を求めます。

圧力や命令、弾圧や不平等からは反発しか生まれないという事は歴史が物語っていると思います。

 

現在の介護は

利用者本位であっても

区分支給限度基準額が決まっていたり

住宅改修や福祉用具の使用においても

上限が決まっていたりと。

 

制限あるサービスの中から

介護が適正に分配されるように

利用者本位という浮世を流しながら

常に煙玉や銃声で

国民の目や耳からの情報を奪い

幻想的な尊厳を作り上げ

個人では無く

介護や支援をされるものと1つにくくり

福祉系や医療系などと対立させる構造を作り

国民連帯の責任、国民の問題だと吠えられて

強制加入によって

税金を、支払い

 

法律という名のもとに

平等に保険料を支払い

不安や不満、不平等という対価を受け取ります。

 

最終的な話ですが

利用者本位や尊厳を

ケアスタッフに理解してもらったと感じるのは誰か?

尊厳を貫いて生きたいと感じるのは誰か?

利用者本位を客観的に洞察し評価出来るのは誰か?

 

最終的に全てを判断出来るのは

御本人様だけです。

 

まとめます。

 

介護では

ワガママに付き合う事と

無理難題の要求のご希望にそえる事が

いつも我々に突きつけられています。

 

我々、介護士も日本国に生まれ

等しく法のもとの平等の国民です。

しかしその当たり前の権利も守られず

日本中の介護士

脳のネジをぶっ飛ばしながら

この介護の世界を

徘徊しています。

 

介護難民は高齢者だけではなく

我々、介護士も一緒です!

責任ばかりを押し付けられ

権利を奪われ

口を縫われ

傾聴ロボットにされています。

 

この介護の

幹の根っこは

腐っているかもしれません。

 

介護の木から

落ちる枯葉を

いくら振り払っても

私達の未来や利用者さんの未来は

変化しないでしょう。

 

我々に求められるのは

根っこを

介護の根っこを皆んなで切り

新しい介護の幹を植える事だと思います。

 

春夏秋冬という年月を

当たり前のように

芽が出て大きな木の根が生えるまで

しっかりと世話すれば

きっとこの日本の介護は

誰もが創造出来ないほど幸せなものになっていると思います。

 

僕達介護士の新しく幸せなプラットフォームを作りたい!

 

全国の、まきこさんと‼︎

 

今日はこのへんでやめます。

 

次回は新しい介護とは

介護と家族の関係は

その辺を書いていこうと思います。

 

最後までありがとうございます。